OUR STORY
1920
70年以上にわたる探検
70年以上にわたり、私たちは多くの探検家の信頼に応え、歴史に足跡を刻んできました。アスリートがスピードを追求し、アーティストがより大きな夢を描き、勇気ある市民が、より自由で公正な世界のために戦うように、私たちは、常に挑戦を続ける人たちに寄り添ってきました。
アーティストのスタジオから前衛的な集団まで、戦場から最先端の科学技術研究所まで、私たちパラディウムは1947年に最初のブーツをつくったときから、世界をより良くしたいと行動してきた勇気ある人たちとともにありました。
1920
大空の冒険からスタート
砂漠を行進したり、野外フェスで泥を跳ねあげたりするよりもずっと以前から、パラディウムのラバーソールは灼熱の路面にありました。を転がっていました。1920年、パラディウムは、航空機のタイヤを製造する会社としてフランスで創業。大空を征服し、世界を発見しようという大いなる探検から、パラディウムの歴史は始まりました。
1947
フランスの外国人部隊
第二次大戦後、職を失った世界中の兵士は、フランスの外国人部隊の選抜試験を受け、どんな境遇に陥ろうとも戦い抜ける勇気を示しました。その頃、パラディウムは、フランス軍より、部隊のメンバー同様にタフなブーツをつくるようにリクエストを受け、1947年にPAMPA(パンパ)を、そして1949年にPALLABROUSSE(パラブロウズ)を完成させました。快適性と耐久性を兼ね備えたパラディウムブーツは、世界で最も伝説的な軍隊が着用することになり、歴史の1ページを飾りました。
1947
受け継がれた機能性
兵士であるということは、昼夜を問わず、歩き、這い、走り、登ることを意味します。それは戦うことだけではなく、世界で最も苛酷な環境で生き抜くことでもあります。パラディウムシューズは、世界各地で、フランスの外国人部隊の行軍とともにありました。私たちのブーツが選ばれたのは、耐久性に優れていながら軽量性を兼ね備え、さらに速乾性に優れるキャンバス素材のブーツだったからです。私たちのブーツが、時代を超えて受け継がれてきたのは、基本的な耐久性というニーズに応えてきたからでした。
1947
パンパ ハイ オリジナーレ
1947年、パラディウムは、空挺隊員の行軍を考えてパンパブーツを設計しました。2017年、ブーツ本体の機能性を引き継ぎながら、パラシュートで着地するようなクッション性を備えたインソールを加えたNEWパンパが誕生しました。70年の時を経て、パンパが生まれ変わったのです。現代の探検家たちも、かつての空挺隊員が体験していた以上に、スムーズな着地を実感できるようになりました。
1960
探検への情熱
地質学者のハロウン・タジエフは、自然界で最も危険で、かつ魅力的な溶岩湖への降下調査を試みました。それまでのどの探検家よりも、噴火する火山に接近するというミッションのすべてで、彼はパラディウムブーツを履いていました。
タジエフは、ボクサーや画家としても知られたベテランの火山学者でもありました。火山の調査は常に危険がつきまといましたが、彼はまだ見ぬ世界を知りたいという強い気持ちで探検に出たのです。
1960
Hitting the trail
1960年代、フランスでは、レジャーとして旅行に脚光が当たり、キャンプやハイキングが人気になりました。パラディウムのパラブロウズブーツは、その耐久性により、フランス軍だけではなく、自然を愛し、郊外へと出かける家族にも愛用されるようになりました。
1968
新たなる革命
フランスで五月革命の起きた1968年、パリの大学地区では、自由への渇望や反戦への怒りが沸き立っていました。ストライキやデモ、学生と警官との小競り合いとともに、変化を求める風は第二次大戦後の体制を押し流していきました。
1968
A fortress built on quicksand
パラディウムスニーカーは、多くの若者が石畳をたたくビートニク精神の象徴として路上にデビューしました。また、パラテニススニーカーは、警察を撹乱する若者の足元で、そのスピードを発揮しました。
1968
Shoes for generation freedom
若い革命家たちは、パリの通りを歩きまわり、デモを起こしました。彼らは何時間も行進し、催涙ガスを投げられれば、すぐさま走り逃げました。自由を求めた彼らは、新しい共和国を見ることができました。足元を支えたパラディウムスニーカーは自由の象徴となり、フランスの若い世代のお気に入りの一足になりました。
1970
パラディウムスポーツクラブ
1970年代、パラディウムは戦場からスポーツへ、特にテニスコートとバスケットボールのアリーナに移行しました。スポーツにおいて革新が進んだ輝かしいこの70年代に、パラディウムはニューモデルを開発。自らのやり方でトップを目指すタイプのアスリートをサポートしました。フランスバスケットボール界のレジェンドであるアラン・ジレは、ASVEL Basketを何度もフランスリーグ優勝へと導き、パラディウムの顔となりました。
1970
Fly to victory
パラディウムは、当時最軽量のスポーツシューズの開発を目指しました。そのシューズは、バスケットボール選手に新しい羽を与えることになり、ドリブル、ジャンプ、ダッシュなど、すべてのプレーで勝利への道のりを共にすることになりました。
1970
A passion for tennis
1971年から1979年にかけて、男子テニスの国別対抗戦「デビスカップ」にフランス代表としてプレーしたパトリス・ドミンゲスは、子どものころから "ミスター100万ボルト"と呼ばれていました。彼はパラディウムシューズをパートナーとして選び、情熱の全てをテニスに注ぎ込み、36才でキャリアハイとなる成績を残しました。
1980
NEW YORK アンダーグラウンド
1980年代に、パラディウムはアメリカに上陸しました。マドンナの人気が上昇したころと時を同じくして、パラディウムブーツは、ニューヨークの前衛派の間でヒットしました。ブラックカラーの「PAMPA HI(パンパハイ)」は、冒険的なゲイコミュニティの衣装と完璧なまでにフィットし、彼らの象徴的な一部になりました。
1980
Symbol of pride
80年代のニューヨークでは、ゲイの人々は変わらず迫害を受けていましたが、彼らはゲイであることを隠そうとはしませんでした。彼らはお互いを励ましあいながら、よりオープンに生きられる環境や平等を求めて戦いました。その中には、自らが異なることを誇りに思っていることを示すように、着飾る人もいました。手首や首に巻いたバンダナは、所属するコミュニティを表し、秘密のコードを伝える役割も果たしました。
1980
Paint it black
また、この時期には、NYでサブカルチャーが大きな成長を遂げることになりました。アンディ・ウォーホルやキース・ヘリングに代表されるように、そのエネルギーや大胆さ、無現の可能性は、世界をクリエイティブにし、またそれまでの秩序を崩壊させるようなものでさえありました。
彼らは自由を追求しました。言論の自由、創造する自由、愛する自由。そして、衣服が自らのアイデンティティと心の状態を表現する重要なアイテムになる中で、アーティストのコミュニティでは、しばしばオールブラックの衣装をまとい、自己を表現しました。そして、パラディウムのブラックスニーカーが着用されたのです。
1990
グランジギグス
パンクロックやグランジ(オルタナティヴ・ロック)、電子音楽が流行した90年代は、カウンターカルチャームーブメントが、クリエイティブな雰囲気を作り出し、保守的な体制や規則に対する反動が続きました。パラディウムブーツは、その丈夫さや悪天候への対応に加え、洞窟からアスファルトまで使えるフィールドの広さもあり、広く愛用されるようになりました。その上、創業時から続く強いミリタリー調の外観で、我が道を行く自信にあふれたアウトサイダーにもささりました。
1990
These boots are made for gigging
パラディウムがキャンバスブーツで知られていた数十年を経て、90年代には、多くの人がパラディウムのレザーモデルに目を向けるようになりました。これらのブーツは、控えめな機能とロックな精神を組み合わせたモデルでした。
1990
A philosophical brand
私たちは、人々が自分自身と環境とのつながりを反映するようなキャンペーンを実施しました。シューズを売るだけでなく、パラディウムは常に好奇心を持ち、現状に疑問を投げかけるブランドでありたいと思っています。そして、世界に何を残すことができるのか、について考えています。
1990
Ecological Pioneer
Palladium didn’t hesitate to create one of the very first lines of ecological shoes in 1991. The innovative models made from nature-friendly materials echoed the values of the brand.
2000
都市探検
超高層ビルが高みを極めようとする間に、都市は郊外へと広がっていきました。街が大きくなればなるほど、そこには、ミステリーなものが見られるようになりました。パラディウムは、都市に見られる芸術や魂を探検し、屋上や地下空間、そして裏路地に新しい視点を求める都市探検家をサポートします。
2000
Concrete jungles & Secret spots
未開の地がなくなったような現代でさえ、絶え間なく変化を続ける新しいフロンティアがあります。騒音と煙にあふれたコンクリートジャングルには、放棄されたような一角が常にあります。裏庭から廃墟まで、パラディウムブーツの耐性性や快適性、また適応性のある外観は、現代都市を探索するための究極のギアとなりえるでしょう。