SSKについて
ABOUT SSK
BRAND STORY
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1946
SSKブランド誕生
株式会社エスエスケイは、創業者の故佐々木恭三が「日本の復興はスポーツを通して、青少年の育成が大事である」と考え、終戦の翌年1946年(昭和21)11月に京都市下京区で運動具屋として創業。 -
1950
業界に先駆け、
野球ユニフォーム縫製
1950年(昭和25)10月には、綿布の公定価格、配給制度が全廃され、野球ユニフォームの縫製を開始。プロ野球チームのユニフォームをヒントに数々の改良工夫を重ね、「SSK」印をつけた最初の商品の開発に成功。
後のマチ無しユニフォームの開発につなげ、1956年(昭和31)3月には、「SSK立体裁断ユニフォーム」のブランドで売り出した。 -
1959
業界初のアドバイザー契約
その後、「SSK」ブランドの商品開発アドバイザーとして、1959年(昭和34)から阪神タイガース村山実選手、1962年(昭和37)から読売ジャイアンツ柴田勲選手などプロ野球選手とアドバイザー契約を締結し、アドバイスを採り入れて商品改良を重ねた。
なお、村山選手は現役引退後の1972年(昭和47)から1976年(昭和51)までの間、取締役マーケティング室長として、硬式野球分野の充実を推進していった。 -
1975
第1回アドバイザリー会議を開催
1975年(昭和50)12月、契約しているプロ野球選手が一同に会し、使用した野球用品を評価する「第1回アドバイザリー会議」を開催。この会合は現在も続いており、プロ野球選手から当社の商品研究に重要な意見を聞ける貴重な場となっている。 -
1978
独自商品の開発
成熟産業になりつつあった野球市場に風穴をあけるべく、新たな挑戦としてグラブの技術開発に取り組み、1978年(昭和53)10月、捕球部分にプレス加工によるディンプル(凹点)を施した野球グラブ「G-one-D」の開発に成功。
このグラブの技術開発が認められ、1978年から1984年までの間に、台湾、米国、カナダ、ブラジルで特許または実用新案を取得、1986年(昭和61)には国内での実用新案を取得。SSKを代表する野球ギアとして広く知られるようになった。 -
1986
「バットのSSK」
1986年(昭和61)には「バットのSSK」のイメージが定着するきっかけとなった硬式金属製バット「ウイングフライト」を開発。高校球児を中心に支持を受けた。そこから、「スカイビート」や「スーパーコンドル」シリーズなどロングセラー商品の開発につながっている。 -
2002
中国厦門(アモイ)に自社グラブ工場設立
2002年には中国厦門(アモイ)に自社のグラブ工場を設立。2014年(平成26年)に規模を拡大、グラブをSSKブランドの重要カテゴリーと位置付けている。 -
2006
挑戦し続けるSSKブランド
近年においても、2006年(平成19)打球部が凹凸形状の「バンピーコア」を搭載した軟式野球用バット「ナイスハンター」を開発。その後、「メタルハンター」、「ハンターマックス」と、「バンピーコア」機能を搭載したバットを開発。これからも、独自の商品開発を通じて硬式・軟式野球市場に挑戦し続けていく。
ADVISORY STAFF
SSKアドバイザリースタッフ
国内・海外のアドバイザリースタッフ契約を結んでいる選手・監督は2023年1月時点で27名です。
※所属球団・ユニフォーム・背番号などは2022年11月時点のものです。
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東京ヤクルトスワローズ
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#5 川端 慎吾
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阪神タイガース
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#16 西 勇輝
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#2 梅野 隆太郎
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#26 北條 史也
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読売ジャイアンツ
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#6 坂本 勇人(バットアドバイザー契約)
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#25 岡本 和真(バットアドバイザー契約)
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#20 戸郷 翔征
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#012 高橋 優貴
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広島東洋カープ
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#9 秋山 翔吾
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#20 栗林 良吏
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中日ドラゴンズ
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#8 大島 洋平
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#53 後藤 駿太
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#21 岡田 俊哉
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#60 岡林 勇希
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#73 立浪 和義
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横浜DeNAベイスターズ
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#14 石田 健大
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オリックス・バファローズ
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#3 安達 了一
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千葉ロッテマリーンズ
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#2 松川 虎生
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東北楽天ゴールデンイーグルス
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#25 田中 和基
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福岡ソフトバンクホークス
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#7 中村 晃
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北海道日本ハムファイターズ
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#7 松本 剛
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埼玉西武ライオンズ
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#60 中村 剛也
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#61 平良 海馬
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#69 水上 由伸
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MLB
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Wander Franco
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Andrew Vaughn
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Luis Urias
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